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横幹連合ニュースレター

<<目次>> No.040 Feb 2015

巻頭メッセージ

活動紹介

参加学会の横顔

 
お茶とコーヒー -日常生活から横幹的アプローチへのヒント
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庄司 裕子 横幹連合理事
中央大学理工学部 教授
 
第42回横幹技術フォーラム

「第5回横幹連合シンポジウム」 開催のご報告

イベント紹介

ご意見はこちらへ

 
 
2015年定時総会
第6回横幹連合コンファレンス
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巻頭メッセージ

お茶とコーヒー -日常生活から横幹的アプローチへのヒント

庄司 裕子  横幹連合理事
中央大学理工学部 教授  

   私が非常勤講師を務めている大学の講師室では、着席して授業の準備などをしていると、お茶を持って来て下さる。来室者にお茶を出すという極めて日常的な行為ではあるが、その素晴らしいおもてなしぶりに、何年経っても毎回のように感心するのである。
   まず、タイミングが絶妙である。講師室には頻繁に人が出入りしているのだが、入室した人が椅子に着席して、講義資料を確認し始めたり、持参した食事を食べ始めたりして、「ちょっと落ち着いたかな」という頃に、絶妙なタイミングでお茶が給仕される。同じようなタイミングの人が数人いる場合には、まとめて出されるが、一人の場合は個別に出される。何度もお茶を淹れるのは面倒に違いないと思うが、淹れ立てのお茶を頂ける側としては、ありがたい。熱いお茶は熱いうちに、冷たいお茶は冷たいうちに頂きたいものである。講義開始時間の寸前に駆け込んだ場合には、お茶は出されない。出されても頂く時間のないことを承知されているからであろう。出されたお茶をそのまま放置するのも恐縮であり、こちらも助かる。時間的に微妙な場合は「お茶、飲まれますか?」とさりげなく聞いて下さり、タイミングを見計らったサービスには感心してしまう。
   それから、相手や状況によって、サービス内容の異なる場合がある。暑い時期には冷たいお茶、寒い時期には温かいお茶というのは常識である。もちろん私も、季節によって冷茶や温茶を頂く。私はかなり鈍感な方なので数年経った頃に気付いたのであるが、私が冷茶を頂いている際に、隣の方が温茶やお水を飲んでおられることがあった。これはベテランの先生から伺ったのだが、熱いお茶を好まれる方には夏でも温茶が振る舞われ、お水を好まれる方にはお水が振る舞われるとのことである。特に希望がない場合や不明な場合に、デフォルトで季節に応じたお茶が出される。そのことを私に教えてくださったベテランの先生は、とびきり熱く濃いお茶がお好みのようで、真夏にも濃い温茶を飲まれていた。一度、その先生が「今日は暑いね。」と汗をかきながら入って来られた時に、講師室の方が「今日は冷たいお茶になさいますか?」と尋ねるのを耳にした。確かに、定常的な好みとは別に、その時々の状況や感情もある。いくら熱いお茶が好きでも、汗が出ている時には冷たいお茶が欲しいかもしれない。それでも、汗をかきながらでも熱いお茶を飲みたいのかもしれない。さりげなく尋ね、好ましい方を振る舞える。簡単なようで、なかなか出来ることではないと思う。
   私は感性工学に関する研究に取組んでいるが、感性工学は「人間の感性を理解し、個々人の趣味や嗜好、状況に合ったシステムやサービスの実現を目指す研究領域」である。個人の好みに合ったお茶を提供するシステムを作ろうと思えば、現在の感性工学の技術を用いれば可能である。お茶の好みに対するアンケート調査や利用履歴などの情報から利用者の嗜好を推定して、その嗜好に合った濃さや温度のお茶を提供すればよい。熱くて濃いお茶が好きな人であっても、猛暑の日には氷入りの冷茶を選ぶかもしれない。システムは、最初は温茶を提供するかもしれないが、利用者からのフィードバックがあれば学習し、次回は冷茶を提供するように改善できる。しかし、着席した頃合いを見てお茶を出すことや、急いでいると思われる時には出さないなどの、タイミングや雰囲気を考慮したサービスとなると、現在の感性工学ではまだ難しいと言わざるを得ない。人間には可能なことでも、機械にさせようとすると、その内容を具体的に記述しなければならないからだ。その状況を的確に判断している当の人間も、自分が何を見たり読んだりしているかを言え、と言われると困ってしまうのではないだろうか。感性工学の取組むべき課題はまだ多く、異なる研究分野との連携も今後ますます必要になると思われる。

   ところで、私は日本茶も好きだがコーヒーも大好きである。自宅では毎日何回もコーヒーを飲んでいるのだが、私は朝食時のコーヒーを入れることが多い。お湯を沸かしながらスクランブルエッグを作ったり、フルーツや野菜を切ったりする。コーヒー豆をフィルターにセットし、熱湯を注ぎながらトーストを焼く。トーストが焼き上がる頃にはコーヒーも出来上がり、すぐに食事にかかれるというのが、私の目指すタイミングである。
   連れ合い曰く、コーヒー豆に熱湯を注ぐ時には、フィルターから下に落ちるお湯と同じ量を少しずつ注いだほうが美味しいそうである。フィルターに熱湯が常に一杯入っているほうが、豆がふわっと膨れて良いのだと、テレビ番組でも確かに紹介されていた。同じ番組を見たのだから、私ももちろん覚えている。しかし、私はコーヒーのお湯を注ぐためだけに台所に立つことは、ほとんどない。他の作業をしながらコーヒーを入れるのに、じわじわとお湯を注ぐことは実現不可能である。一方、連れ合いがコーヒーを入れる時には、専業で行うことが多い。時間をかけて、じわじわとお湯を注げば、美味しいコーヒーができるかもしれない。美味しいコーヒーを入れる技術という点について考えれば、おそらく私たち夫婦の技術は同じようなレベルにあるので、コーヒーだけを味わいたいという局面ならば、ゆっくり入れれば同じ価値(コーヒーの味)が提供できるだろう。そうした場合には、私も専業でコーヒーを入れる。しかし実生活では、毎朝の私のように、コーヒーだけを飲むことより、他の食べ物と一緒に楽しみたい場合のほうが多い。そうした場合、コーヒーだけが美味しければいいというものではない。美味しいコーヒーは入ったが、先に焼いたトーストは冷めてしまったというのでは困る。逆に、美味しいコーヒーを入れた後にトーストを焼けば、せっかくのコーヒーは冷めてしまうのである。
   横幹連合の名誉会長である吉川弘之氏は、料理を例にあげて、異分野の知識を総動員して横幹的に連合して問題解決に当たることが重要だと述べている。目玉焼き一つを焼くにしても、熱力学、化学、制御工学などが関係し、要素工学だけでなく「束ねる科学」が必要になるという。いくらフライパンやコンロが高性能であっても、高級でおいしい卵を買ってきても、焼き方が悪いと不味い目玉焼きになってしまう。確かに、要素を揃えるだけでは充分ではない。料理は「横幹的例題」として、好適な題材かもしれない。
   目玉焼き一つだけでも、横幹的なのである。目玉焼きとトーストとサラダとコーヒーの朝食を用意しようと思ったら、階層的な「束ねる科学」が当然必要になるのではないだろうか。個々のものが美味しく出来ることはもちろん、全体のバランスも必要であり、所定の時間や予算といった制約条件を満たす必要がある。手前味噌かもしれないが、毎朝の私はコーヒー単独の価値より朝食全体の価値、準備時間を短くするスケジューリングを重視しているのである。

   ここでは、お茶とコーヒーという、極めて日常的な話題を取り上げた。しごく日常的なものの中には、横幹連合の目指す方向性と関わりの深い例題があるのではないか。つまり、我々が日常生活で自然に行う振る舞いの中には、要素に還元できない(あるいは、してもほとんど意味のない)統合的なものがあって、その中に「束ねる科学」へのヒントがあるのではないか、と私は感じている。

 

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